デス・オーバチュア
第227話「湖上の美女」



森の中を金髪の人形を抱いた女が歩いていた。
「…………」
女が足を止めると、金髪の人形が腕から飛び降りる。
「……あなたはここまででいいわ、蘭華(ランファ)」
金髪の人形は地に着地するなり、クルリと回転して女に向き直った。
「青……いいえ、黒のスーツケースを頂戴」
「…………」
女は無言で、どこからともなく取り出した黒のスーツケースを差し出す。
「……久しぶりに自分の足で歩くとしましょう」
スーツケースは、無理すれば金髪人形が収納できてしまうぐらいの大きさだった。
身長95〜100pぐらいしかない彼女が持つにはちょっと大きすぎるカバンである。
「よいしょ……」
金髪人形はスーツケースの上に腰を下ろした。
次の瞬間、彼女を乗せたスーツケースがふわふわと浮かび出す。
「じゃあ、すぐに戻ってくるから……そこで待っててね」
「…………」
スーツケースに乗った金髪人形は、空の彼方に消えていった。



「……魔術師を辞めろだなんて……馬鹿なことを言ってくれるわね……」
クロスティーナ・カレン・ハイオールドは森の中を歩いていた。
ディーンがガイやタナトスの稽古をしている間の時間を使って魔女を捜す……それが最近の彼女の日課である。
「あれ?」
クロスは、木々の向こうに綺麗な湖があることに気づいた。
連日のディーンの自然破壊……稽古によって森は蹂躙されまくっているが、少し遠くまで足を伸ばせば、まだ荒らされていない綺麗な森も残っている。
「魔女をお捜しかしら、銀の髪のお嬢さん?」
湖の中央に、金髪の人形が浮いていた。
極薄の黒い布を風呂上がりのバスタオルのように体へ巻き付けている。
黒布は左右の腰から下にはスリットが入っており、背面の布は殆どなく背中を大きく露出していた。
つまり、肩紐無しの股下までしかスカート丈のないショートドレスである。
肘上まである長手袋の手首には赤いリボンが蝶結びされ、腰にも大きな赤いリボンがパレオ(飾り布)のように巻かれていた。
さらに、首に黒い飾り布が巻かれ、額には中心に青い宝石の埋め込まれた黄金のサークレットが装着されている。
両足は靴下の類どころか、靴も履いておらず、生足で湖面を歩いていた。
「ええ、まあね……あなたが、魔女?」
クロスに近づいてくる金髪の人形は、起源前の魔女にして最初の人形師アリス・ファラウェイである。
彼女は、いつものストレートロングの金髪を電髪(パーマネントウエーブ)……人工的に波立たせていた。
といっても、クロスは普段のアリスの衣装や髪形など知らないし、どうでもいいことである。
「私の名はアリス……代価と引き替えに他者の願いを叶える現象にして概念……即ち人が魔女と呼ぶ存在(モノ)……」
『ふん、モノは言いようじゃな……他人の必死の想いを玩具にして無聊(ぶりょう)を慰める暇人が……むぎゅっ!?』
「え……何、今の声?」
金髪の人形……あるいは人形のような少女であるアリスの発言にツッコミを入れる第三者の声が確かにあった。
だが、周囲をどれだけ見回しても、ここにはアリスとクロス以外、誰もいない。
「……ん?」
クロスの視線が、アリスが抱いている物に止まった。
水色の髪の人形……いや、ぬいぐるみと呼ぶべきか、30pもないであろう少女のぬいぐるみを右手で抱え、左手でその口を塞いでいる。
気のせいか、人形がアリスの拘束から逃れようともがいているように見えた。
「……痛っ!」
『ええいっ! 妾を窒息させる気か!?」
人形(ぬいぐるみ)がアリスの左手に『噛みついて』口封じから逃れる。
さらに、中身はおそらく綿だけで関節もないくせに体を激しく動かしていた。
「……何、コレ?」
クロスは、信じられないといった表情で、アリスの抱く人形を指差す。
確かに今まで、ファーシュ達のような機械仕掛けで動く人形や、リーヴの作った『生き人形』は見たことはあった。
でも、この人形は違う、どう見ても『普通』の人形のぬいぐるみにしか見えない。
それなのに、喋って動いているのだ。
「人形以外の何に見えるの? あ、布や綿だけでできているから、ぬいぐるみって呼ぶ方が正確……?」
『慮外者(りょがいもの)! 妾を指差すなど無礼にも程があろう!』
水色の髪の人形は、人間のように表情を変えて怒っている。
「…………」
クロスは改めて人形の全身を凝視した。
水色の髪と瞳、髪はアリスと同じ……いや、アリスよりも自然で綺麗なウェーブヘアで足下まで伸びている。
着ている洋服は、白いビスチェドレスのようだが、チャイナドレスのようにスリットの入った長いスカートをしていた。
首、両手首、両足には黄金の輪……豪奢な飾りが填められている。
「お姫様……いや、女王様……人形?」
クロスは、この傲慢さと気品を併せ持つ水色の人形をそう称した。
「……さて……」
アリスは値踏みするような眼差しをクロスに向ける。
「うっ……何よ?」
「それはこっちのセリフ……願いごとがあるのでしょう?」
「あ、そうか……えっと、姉様の……」
「……の神剣を直すために、神柱石を寄こしやがれ?」
クロスの心を読んだかのように、アリスは彼女の願いの続きを口にした。
「解っているなら聞かないでよ! やっぱ、魔女って心が読めたりするの? 未来が視えたりするわけ……?」
「…………」
魔女は質問には答えない。
「まあ、ちょっと心からの願いとは違う気もするけど……よしとするわ……」
「……何よ、あたしは嘘なんて……」
「姉を自分だけの『物』にしたい?」
「え……?」
「姉への歪んだ愛情が一番解りやすいあなたの想い……」
「…………」
クロスは押し黙った。
下手に否定も肯定も、言い訳もできない。
普段は姉が大好き、愛していると公言しているに等しいクロスだが、この魔女の前では迂闊にその言葉を口にしてはいけない気がしていた。
「……そして、もっとも嫌悪すべき者への真逆……」
「だあああっ!」
クロスは口を封じるかのように、いきなりアリスに殴りかかる。
「戯け!」
水色人形の小さな左手が、クロスの右拳を下から打ち上げた。
「ぶっ!?」
飛び上がっての『アッパー』でアリスへの攻撃を迎撃した人形は、さらに連続で、飛び蹴りをクロスの右頬に叩き込む。
飛び蹴りは、ちっちゃな人形の攻撃とは思えない強烈な威力を発揮し、クロスを森の中に吹き飛ばした。
「ふん、不本意ながらもこやつは我がマスター……目の前で傷つけさせるわけにはいかぬ」
人形は一度も地に落ちることなく、定位置であるアリスの腕へと華麗に戻る。
「……大丈夫?」
アリスは湖面から上がると、僅かに地面から足を浮かせたまま、クロスの吹き飛んだ森の中へと入っていった。
「……痛たぁ……何なのよ、その人形の馬鹿力は……!?」
クロスは右頬をおさえながら、アリス達の方に戻ってくる。
「まったく……」
そんなに物凄い攻撃ではなかった。
もっととんでもない威力の攻撃を受けたことも、遙か彼方まで吹き飛ばされたこともいくらでもある。
だが、問題はスケールだ。
もし、人形がクロスと同じ人間サイズだったら、今の飛び蹴りはいったいどれほどの威力があったことか……。
「平気みたいね、丈夫な人……ところで、少し困ったことがあるのだけど……」
そう言いながら、アリスは欠片も困っているようには見えなかった。
「何よ?……て、なんか今日こればっか言っているような……」
「神柱石ならまあ持ってはいるんだけど……」
「え、嘘!? ちょっと本当!? だったら今すぐ寄こ……」
「でも、それと引き替えにできる程の代価……つまり、私が欲しいモノをあなたは持っていない……」
「な……ちょっと、何よ、それ!?」
クロスは今日何度目か解らない『何よ』を口にする。
何度もこの言葉を口にしてしまうのは、魔女の言うことが理解できないことや納得できないことばかりだからだ。
『そうかのう? この娘の魂なら『一つ』でも代価に余りあると思うが……」
「駄目よ。『土』はもういらないわ……それにせっかく綺麗に調和がとれている三位一体(トリニティ)を崩すのは美しくない……」
「ん……」
クロスには、魔女の言っていることに心当たりがある。
おそらく、シルヴァーナとセレスティナ……クロスの中に宿る二つの異なる人格……魂(前世の人格)のことだ。
『……土? こやつ、土なのか?』
水色人形が興味深そうな眼差しをクロスに向ける。
「ええ、極上のね……あなた達にも匹敵……凌駕するかもしれない素材よ……」
『面白いっ!』
アリスの腕の中から水色人形が飛び出し、大地に降り立った。
『決めた、妾はこやつと戯れさせてもらうぞ、マスター!』
水色人形はビシッとクロスを指差す。
「正気なの? 彼女は土……『水』であるあなたにとって最悪の相手よ……」
『だからこそ面白い! 相剋の法すら凌駕する『格』の違いを見せつけてくれるわっ!』
「相変わらず好戦的で傲慢ね……いいわ、戦わせてあげる。その代わり、もし彼女が勝ったら……」
『心得ておる! 万が一、いや、億が一、そのような奇跡起こりし時は……この娘の代価、妾が肩代わりいたそうぞ』
「その言葉忘れないでね……ということだけど……あなたも了承?」
アリスは人形との話がまとまるなり、いきなりクロスに同意を求めた。
「……了承って何がよ!? 全然話が解らないんだけど……?」
『なあに至極簡単な話じゃ。そなたがもし妾に勝てたら、妾が代わりに代価をマスターに支払って、そなたの願いをこのマスターに叶えさせる……どうじゃ? 面白い遊戯であろう?』
水色人形はニヤリといった感じで意地悪く笑う。
「ええっ!? 何、本当にそれでいいの!? だって、それじゃあなたはあたしに勝っても何の得も……」
『ふん、妾に勝てるつもりか? それに得だと? 妾は損得なので己が行動を決めぬ!』
「……楽しめるかどうかで全てを決めるのよ、この子は……」
「楽しめる?」
『そなたは戦うことの楽しさを、勝利の喜びを知らぬのか? 面白そうな相手と戦うこと、そして勝利すること……これこそ、我が至上の悦楽なり!』
「……解りたくないけど……なんとなく解っちゃったわ……」
つまり、この人形は戦闘狂とかバトルマニアとかいった人種なのだ。
そして、クロス自身にもそういったところはあり、そういった相手も嫌いではない。
「OK! 戦いましょう……思いっきりね!」
クロスは楽しげな表情で、左掌と右拳を打ち合わせた。
「うむ、よくぞ言った! その意気は良し! では、始めるぞ、マスター!」
「はいはい……」
盛り上がっている人形とは対照的に、醒めた態度でアリスは応じる。
「…………」
「えっ?」
アリスはいきなり背後を振り向くと、水色人形を湖へと投げ捨てた。
派手な水音を上げて、人形は湖の中に沈んでしまう。
全ては一瞬の出来事、人形は欠片も浮く気配を見せず、湖の中へと消えたのだ。
「ちょっと!? あなた、何を……」
「…………」
アリスは答えず、低空浮遊したままのバックダッシュで湖の前へと移動する。
「……一に曰く水、ニに曰く火、三に曰く木、四に曰く金、五に曰く土……」
湖へと振り返るなり、アリスがクロスには意味不明な言葉を紡ぎだした。
「水はここに潤下(じゅんか)し、火はここに炎上(えんじょう)し、木はここに曲直(きょくちょく)、金はここに従革(じゅうかく)、土はここに稼穡(かしょく)……」
「呪文の詠唱……なの?」
紡がれる詠唱は、クロスが知るどの系統の魔術とも違っている。
「潤下は鹹(かん)をなし、炎上は苦をなし、曲直は酸をなし、従革は辛をなし、稼穡は甘をなす……」
玄(くろ)い光が湖全体を使って、巨大な五芒星の魔法陣を描いた。
「五芒星? 六芒星じゃないってことは召喚の術じゃ無……」
「潤下の姫にして皇たるモノよ! 水妖水精全てを統べる女王よ! 今こそその小さき人の形より解き放たん!」
五芒星から玄光(げんこう)が大量の水と共に噴き出す。
「……では、心ゆくまで遊戯を愉しもうではないか」 
玄光の水柱を背にして、水色の波打つ髪と煌めく瞳をした絶世の美女が湖上に佇んでいた。










第226話へ        目次へ戻る          第228話へ






一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



簡易感想フォーム

名前:  

e-mail:

返信: 日記レス可   日記レス不許可


感想







SSのトップへ戻る
DEATH・OVERTURE〜死神序曲〜